ETERNAL-FLAME

~ 寝ても醒めても キャンドルのことばかり ~

キャンドルの効能

 

いろいろありまして、いろいろなことを変えてしまいました。

たとえば働き方、そして考え方、たぶん、生き方も。

変えなきゃいけないのかな、変えられるかな、変えられないんじゃないかな・・・

とても長い時間をかけて、いろいろな振り幅の段階を経て、ついに。

 

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たとえば、私がフリーランスにありがちな「ワーカホリック」になったのは、

生きがいみたいなものを、クライアントからの評価で満たそうとしたからでした。

けれど15年以上も無理をつづけたので、身体の不調も見過ごせなくなり、

それでも、働き方を変える必要性を感じるまでに、ずいぶん時間がかかりました。

 

その後も、つづけるか vs 辞めるか、という極端な二択に悩みつづけ、

仕事量を減らす、という3つめの選択肢を追加できるまでに1年かかりました。

とはいえ、仕事しか誇れることがなかった私から、仕事を引きはがすのは苦痛で、

身体を壊してでも働く、とまで抵抗しようとしたり・・・自分でも愕然としました。

 

働き方を変えることは、価値の無い(と自分では感じる)自分自身を、

それでもいい、と認め、受け入れていく作業となり、とても厳しい日々になりました。

できるだけ客観的に自分を観察し、日々を丁寧に過ごすことで、

心に灯る小さな感謝の気持ちを、少しずつ大きく育てていくような日々でした。

 

けれど、実際に変えてみると、あれほど切望していたはずのクライアントの評価も、

もうすでに、私の存在意義を左右するものではなくなっていました。

遠く移ろいやすいものに、委ねようとするから苦しかったのですけれど、

家族や友達とのあいだにある確かなものこそが、私の存在を満たすものでした。

 

大切なひとたちが、私を大切だと思ってくれることは、もちろん当たり前ではなくて、

その自分に価値が無いと言い募ることは、ずいぶん失礼なことだったと気付きました。

そんな当たり前なことに気付かない私は、本当に子供のようだったと感じますし、

私が気付くまで、ずっと待っていてくれたことに、本当に感謝しかありません。

 

 

働き方を変えていくなかで、どうしたって、考え方も変わりました。

誰かと較べたり、誰かのようになりたいと願う無意味さにも気付かされました。

この手にはないものを、いつまでも追いつづける愚かさにも。

必要なものは、もうこの手のなかにあるのです、よく見さえすれば。

 

どうしてもっと早く、こんなふうに気付けなかったんだろう、とも思うけれど、

今、この時でないと、きっと気付けなかったんだろう、とも思います。

古い考え方から新しい考え方に変えよう、というのは、私の意志でしたが、

それを支えたのは、キャンドルを灯す時間だったのだろうと思っています。