自然が音色を奏でるなら
昨夜の満月、素敵でしたね。
生業の仕事の上では、1ケ月という単位で物事を考えるくせがあるため、
あえて普段は、意識的に月齢を気にしながら暮らすことにしています。
もっとも、仕事で手一杯のときには、新月も満月も気付かず過ぎてしまうのですが(苦笑)
気にするまでは、まったく気にしていなかったのですが、
月の満ち欠けは、地球の潮の満ち引きに影響を与えるほどパワーがあり、
身体の大部分を水分が占めている人間にも、影響を与えないはずがない、と知り、
自然のリズムに逆らわず暮らすほうが、合っているなと感じるようになりました。
満月は、文字通り「満ちるとき」ですから、いつも楽しみに待っているのですが、
昨夜の満月は、とても軽やかで賑やかで優しい雰囲気、
「あ、切り替わったな」という気がしつつ、それは待ちに待った感覚で、
さっそく、なにやら新しいパワーが身体を満たしていくような気配がします♪
ところで、昨日、雷の音を聴きながら、
稲光は、自然の作りだす強烈な芸術だなと感じつつ、思い出したことがありました。
それは、カナダの真冬の極寒の凍った湖のうえで、
首が痛くなるほど夜空を見回しているとき、感じたことなのですが。
オーロラにも、音があったらいいのに。
もしオーロラに音があるなら、どんな音色なんだろう。
オーロラだけじゃなくて、虹とか、ため息の出るほど雄大な夕焼けとか、
思わず見入ってしまうような美しい景色に、どうして音が無いんだろう、と。
もし、音があったなら、1時間おきに交代で、全身フル装備の防寒をして、
真夜中の湖に、オーロラ探しに出て行かなくても、いいじゃないって。
ま、そこまで考えて、それはさすがに、私の勝手な都合だな、って思いましたけど(笑)、
それほど、オーロラも気まぐれ、なかなか姿を見せてくれないものです。
オーロラが出現しやすい、北極圏に暮らす人たちにとっては、
虹と同じくらいの確率で見つけられるオーロラは、さほど珍しくないそう。
だから、それを見るためにわざわざ日本から訪れ、夜ごと徘徊する私たちを、
パーティー帰りの浮かれたスウェーデンの若者たちは、もの珍しそうに見ていましたっけ。
交代でオーロラを探した湖は、カナダ・ユーコン準州のホワイトホース。
アラスカへ向かうハイウェイ沿いのマーシュ・レイクという氷結した湖で、
こちらは2月だったこともあって、気温も安定して寒いのか、とても静かでした。
その静けさは、おそらく降り積もった雪が音を吸い取っているせいでしょう。
恐ろしいほどの静けさは、まるで、世界中に私ひとりしかいないような感覚で、
置き去られたような、取り残されたような、それでいて、なぜか心地よい。
空と星と月と森と湖と私だけ、そして、それらを満たす氷点下のキリッとした空気。
大自然の一部になったような純然たる一体感は、まさに至福です。
そこはあまりに静かで、オーロラを探す以外にすることがなくて、
たくさんの星が、確実に北極星を中心に回っているのを再確認したり、
都会では地味な月が、オーロラを探すのに意外にも邪魔(!)なことを知ったりしつつ、
万が一オオカミが来ても近づかれないよう、大声で歌ったりしてみたり(笑)
でも、本当に恐ろしい存在は、オオカミより人間のほうかもしれませんね。
そして、人間である私は、自然を神に見立て、勝手に叱られたり、祝福されたり。
けれど、たとえそんな風にしてでも、生かされている間は、
地球の神秘の美しさに、触れてまわりたいなと思います。