I will follow you.
早いもので、桜が開花しました♪
きっと梅や水仙、沈丁花の甘い香りに誘われてしまったのでしょうね。
そして、こちらは京都・紫野源水さんの有平糖の桜♪
先日、新宿のデパートで見つけました・・・なんて繊細な美しさ。
このように美しいものは、本来ならお茶席で頂くのでしょうか。
飴細工って嬉しくて、昔は縁日で干支の飴を目の前で作ってもらいましたっけ。
最近では、洋菓子のデコレーションで見かけることが多くなりましたが、
このように細かな細工を見ると、心が魅かれます♪
心魅かれる、といえば。
もう20日以上も心の真ん中で『赤いスイートピー』が流れているのです。
とはいえ、私は聖子ちゃん世代ではないのですが、さすがは名コンビ、素敵な曲です。
しばらくキャンドルのことを書いていませんので(汗)、
できればスルーしたいと思っていたのですが、
このことを書かないせいなのか、鼻唄がずっと「は~るい~ろの♪」なので、
今夜は、そのことについて。
私が気になっているのは、とくに最後のフレーズ。
なんとも潔いと思うのです。
「好きよ」と告げるわけです、「今日まで逢った誰より」と。
たぶん、実際に相手には伝えないのだろうと想像すると、
告げる相手は、恋の相手というより自分に対してなんでしょうね。
今は、好き。
でも、これから先のことはわからない。
そうなんだろうな、と思います、どんな人でも、どんな時でも。
でも、それをあえて自分に対して宣言するという人は、
心が動いてしまったら、そのことに対しても素直に従うんだろうな、と。
どれほど固い約束を交わそうと、それは希望であって、永遠ではない。
でも、だからこそ、人は約束を交わし、必要に応じてサインをするのでしょう。
そして、その約束に、自分や相手を束縛しようとしてしまうことも。
それならば、できればいっそ潔さをプラスして、
「今は、好き」だけを基準にしてみたら、前提が大きく変わるかもしれません。
今は、好き。
けれど、ここへはもう戻れない。
恋にうつつをぬかしているときなどは特に痛感させられますが、
本当はいつだって、「今」はこの一瞬だけのものだということ。
過ぎたそばからどこかへ飛び去ってしまって、二度と取り戻すことはできません。
暮らしは続いていくけれど、あるいは、続けていくけれど、
本当は、戻らない時の積み重ね、しかも、とても大切な。
だからこそ、「潔さ」というスパイスも、時には必要かもしれません。
どうせ好かれるなら・・・「今は、好き」って、自由なのかもしれないな。
そんなことを、どこか移り気な春の風のなかで感じたりしています。
春は名のみの風の寒さや。
ウグイスは朗らかに恋を唄いはじめましたが、
まだ冷たい春の嵐が吹き荒れるこんな日には、春分の日が待たれます。