始まりのキャンドル
最近灯しているのは、リサイクル・キャンドル。
トモスキャンドルクラフトで教えていただいた作品のひとつを、
灯し終えてからも芯と蝋を追加して、何度もリサイクルしているのですが、
灯す前のマーブルキャンドルは、こちら。
灯しているものは、赤と青に着色した蝋を注いでミックスしていますが、
こちらは色違いで、黄色と青をミックスしています。
このキャンドルを、あるときお礼の気持ちにと贈った相手の方が、
とても喜んで灯してくれたのが嬉しくて、それが、きっと始まり。
先日、友達とゴハンを食べながら、コンテストのことなど報告しているとき、
キャンドルクラフト、ということに、率直な感想をもらえました。
というのも、私にとって、キャンドルを灯す → 作る、は自然な流れでしたが、
キャンドルって、本来、よくある円柱のようなものでいいのではないのか、と。
たしかに、日常的に灯していると、シンプルすぎると物足りない。
でも、凝り過ぎていたり、美し過ぎたりすると、むしろ使えない。
なぜ作るのか・・・それは、とても意外な質問であり、かなり核心でもあり、
私は、思わず唸ってしまいました。
実は、ちょうど一年前、ウクレレを習い始めていたのです。
せっかく始めるのだから、と、大好きなシンガーSAKURAさんに教えを請うことに♪
拙いながらも、5曲ほど弾き語りをマスターしたのですが、
歌う側より、聴く側が合っている、と痛感し、いまは時おりつま弾く程度です(汗)
ですが、SAKURAさんは、私の憧れの女性であり、
遠くステージの上にいた方が、同じフロアにおりてきて教えてくださる。
残念ながら、ウクレレの生徒としては教え甲斐のない生徒だったとは思いますが(苦笑)、
私にとっては、たくさんの喜びや感動のつまったレッスンでした。
そんな密度の濃いレッスンのなかでも、とくに印象に残っているのが、この言葉。
「もし、誰かに何かをしてもらって嬉しいときに、
ウクレレを持っていたら、Thank youの言葉とともに、歌をプレゼントできる。
とても心がこもっていて、きっと相手にも伝わるから」と。
なんて素敵な考えだろう、と感動したのですが、いかんせん、私は音痴(涙)
そのときから、私らしい感謝の表現、ということを考えはじめました。
思えば、ウクレレに出逢うまでも、私はいくつかの習い事をしてきましたが、
誰かにプレゼントできるものなど、果たして、あるだろうか・・・
なぜ、作るのか。
それは、梅仕事と同様、手仕事が好きだから、という言葉に尽きるかもしれません(笑)
自分を、あるいは、自由を表現するためのリハビリのようだ、とも思いました。
私が作るのだから、どうしたって「私」が出てしまうからです。
ですが、私の想いを伝えたいのであれば、むしろ喜ぶべきことかもしれません。
私が「美しい」と感じる作品を、私はひたすら作っていきたい。
そして、いつか、そのキャンドルという存在が、
手に取ってくださる方にも、幸せな気持ちをそっと手渡すことができれば嬉しいです。