続・林檎
毎朝食べている、林檎。
それをシゲシゲと眺めていて、キャンドルのモチーフに、と思い、
でも、やっぱり好きなモノに火を付けるのは嫌だし、
と思いなおしたりしつつ、連想していた前回の記事。
林檎そのものでさえ、こんなにも多様。
わたしのなかで、さまざまな角度からの実感が増えてしまうと、
ただの赤い果物、というあいまいなモノでは済まなくなったりもして、
以前のわたしと、今のわたしでも、イメージする林檎は違います。
ひとりのひとのなかでも、日々変化していく想い。
他のひとの中でも、きっと変化していっているんでしょうね。
だから、
他のひとの林檎と、一致するはずもないんですよね、そもそも。
「わたしにとって林檎は、この赤いのなんだから、
あなたにとっての林檎も、この赤に決まってる!」
というような考え方があふれていますし、わたしもそうなりがちです。
でも、本当に、そんな短絡的でいいのかな、とも思うのです。
「この赤がいいって、あなたが前に言ったんじゃない!」
なんてことも、10年も20年もずっと思い込みつづけて、
相手の変化を受け入れようとしないことだって、
考えてみると思い当たるんです、ヒシヒシと。
林檎の好みの違いなら、笑い話で済みますけれど、
抽象的な概念となると、本当はどのくらいズレているのでしょうね。
そして、厳密な意味では、
その差異を確認する方法なんて、実は無いのかもしれません。
だからこそ、その差異を伝え合うことが必要だなぁ、と、
この頃、そんなことを感じています。
そんな時間さえ惜しむように、忙しがってきたような気がするけれど、
でも、いったいなにを求めていたんでしょうね。