ETERNAL-FLAME

~ 寝ても醒めても キャンドルのことばかり ~

アトリエの行方

 

余った蝋やら溶け残った蝋やらを、適当に流し固めたので、

それほど好きな配色とバランスではないけれど、

デイリーに灯すには、ま、いっか。

狙ってつくるばかりではなく、偶然の産物を楽しむ、ということで。

 

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自宅の一室の、そのまた片隅を占領して、

キャンドル制作のスペースを用意し、いつでも作れるようにと、

道具も材料もすべて、出したままにしていたのですが、

思い切って、そのスペースをきれいに片づけてしまいました。

 

 

作りたいな、と思う気持ちと、作るほどの余裕のない気持ちとで、

その、通称「アトリエ」を見るたびに、憂鬱になってしまっていました。

灯すのは好き、でも、いまは作れる気分じゃない・・・

そう自分にいちいち言い訳するのが、嫌になってしまったのです。

 

だったら、さっさと片付けてしまえばいいのに、なんかそれもさみしくて。

でも、そんなイジイジしている時間がもったいない、ということに気づいて、

それならば!と意気込んで、片付けついでに、作ってしまったキャンドル。

バランスの不安定ささえ、いまの自分を表しているみたいで笑ってしまいます。

 

 

でも、不思議なんですよね。

道具もなにも無い、がらんとしたテーブルを見ていると、

心がクリアになって、そして、その場所からのほうが、

なにかを作り出せそうな気がするんです。

 

それは、新しいキャンドルかもしれないし、

別の何か、かもしれないし、もしかしたら、形の無いなにか、かもしれませんが。

とりあえず今は、ときどき相方が、

持ち帰った書類とPCを相手に、素晴らしい仕事を作り上げています(笑)

 

『ao akua』

 

すっかり忘れてしまっていましたが、ひとつ宿題がありました。

2015年のキャンドルクラフト展に出展した作品をご紹介していなかったのでした。

ブログの下書きフォルダのなかに、用意してあったというのに・・・

すでに灯した画像をご紹介していて今さらですけれど、ご紹介いたしますね(笑)

 

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アオ アクア。

響きが美しいですよね、ao akua。

ハワイの言葉で「虹」のこと、らしいです。

きっと、彩雲のような、聖なる光をあらわすのでしょう。

 

 

いつか、虹のモチーフのキャンドルを作りたい。

そう初めのころから思っていまして、

『Natale』の製法をアレンジしているうちに、

ふと虹色を重ねてみようと思いついて作ってみました。

 

虹といえば、やはりオズの魔法使いの「OVER THE RAIBOW」。

制作中も、ながい待ち時間に鼻歌まじりでいましたら、

気付いてしまったのです、

トラブルがレモンドロップスのように溶けていっていることに。

 

「悲しみとともに生きていってください」というような言葉を、

かの村上春樹さんも、よくアドバイスされていますが、

しっかりと向き合ったなら、

いつかは悲しみだって、溶けていくこともあるかもしれませんね。

 

レモンドロップスのように、悲しみがちいさく溶けてしまって、

わたしが見つけたのは、青い鳥、というより、希望、でした。

このキャンドルができあがったとき、

やはり、このキャンドルにも、そんな気配が感じられました。

 

 

これはきっと、灯したほうがきれいだね、と、

ネーミングをつけてくれるときに、相方が言いました。

作るのに必死で、まだ灯していないときでしたから、

驚きましたが、たしかに、その通りのようです・・・悔しいですが(笑)

 

お灸ライフ

 

夏といえば、蓮、ということで、蓮の絵付けの和ろうそくを灯しています。

ふと裏側を見ると・・・「のと七尾」の文字が。

日本海側へは、G.W.に米子を訪ねたきりで、

能登半島へはしばらく行っていません、行きたいなぁ。

 

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キャンドルが好きですから、自宅にいるときは灯していたいですし、

ただ灯しているだけでも、もちろん構わないのですけれど、

せっかくなので、灯したついでに火を使って、お灸ライフをはじめました。

これがなかなか楽しくて、もう半年以上つづいているんです。

 

変化といえば・・・これが、あるのかないのか、よくわからないんです(笑)

ただ、季節が冬から春に変わったころ、

なにげなく肌を触っていて「しっとりしてる~」とビックリしました。

水を弾かなくなってたのは、年齢のせいではなかったんだな、と思ったりして。

 

おなじころ、ガサガサだった心も、少しずつ潤ってきたような気がします。

なんとなく前向きになってきたような、自分を好きになってきたような・・・

お灸の効果なのかはわからないですけれど、

季節が変わるごとに、少しずつ、けれど確実に変化してきています。

 

 

そういえば、お灸との出会いといえば、

いまは米子に移住された、鍼灸師の先生の施術でしたっけ。

もちろん先生の施術は、いわゆるプロ仕様の本格的なお灸でしたから、

ツーンとくる刺激的な熱さで、自分ではできないタイプのものです。

 

わたしが自宅で使うのは、シールのついた台座灸というタイプで、

温泉に例えられるほどのんびりとした作用です。

けれど、燃え尽きていくお灸をじっと見ていると、

なんだか穏やかに一日を終えていけるみたいで、有意義な時間です。