ないがまま
ないがまま。
初めて聞いた言葉ですが、すーっと心のなかに入ってきました。
あるがまま、という言葉は聞いたことがありますし、
その言葉に救われたことだってありました。
たしか去年でしたよね、『アナと雪の女王』。
エルサの『Let It Go』が聴きたくて、わたしも映画館へ行きましたが、
松たか子さんの歌声の孤高さが、あまりに切なくて、
ありのままの自分で生きていこう、と晴れ晴れとした気分になりましたっけ。
けれど、あるがまま、といわれるとき、
その焦点は、「ある」か「ない」か。
わたしは、無いものねだりをしている長い間、
あるがままの自分では、何も持っていない気がしていました。
たしかに、望むとおりに生きられないとき、
自分を否定する気持ちばかりが大きくなりますから、
そんなときに、自分の手のなかにあるものに価値を見い出す、
というのは、なかなか難しいものです。
わたしが、あの負のスパイラルから抜け出せたのは、
欲しいものが手に入らないなら、
泣いてばかりいないで、必死で手に入れようと思えたこと、
そして、文字通り、必死で手に入れに向かったことでした。
ま、そのくらい長い間、うじうじしてましたし、
もう後がないな、というくらい切羽詰ってもいましたし。
その結果、望みどおりにはなりませんでしたから、
残念ではありますけれど、でも、晴れやかでもあります。
そして、もし、もう一度やり直せるとしても、
また、きっと同じような選択をするだろうな、としっくりきました。
そのことは、最近、再愛読中の村上春樹作品にも、
通底している意識のような気がして、新たな発見です。
で、無いものねだり、から、ねだり、が取れて、
ないがまま、を受け入れられるようになりました。
「ない」からスタートする、幸せ。
あるいは、「ない」からこそ、そこに「ある」という不思議。
欲しいものが手に入らないなら、ないがまま。
足るを知る、ほどに余裕がでてきたなら、あるがまま。
いずれにしても、飾らないありのままの自分でいられたなら、
「ある」も「ない」も、どちらも同じことなのかもしれませんね。