旅先の風
ふわり、ふわり。
ふと目の前を舞う、白いものに気が付いて、
あまりの懐かしさに、つい足が止まります。
見渡してみれば辺り一面、ふわりふわりと舞っています。
場所は、札幌。
ん? 前にも見たことがあるぞ??
それは、そよ風に舞う、ポプラの綿毛でした。
長く寒い冬が去った喜び、幼い日の嬉しい記憶が甦ります。
生まれ故郷の札幌で、無心にポプラの綿毛を追いかけながら、
気付いたことがあります、はっきりと。
真っ白な綿毛を追いかけている瞬間が、純粋に楽しいのです。
採れたてのアスパラも、ジンギスカンだって、純粋に美味しいのです。
それはつまり、悲しみが去った、ということ。
もう悲しまない、と何度も自分に言い聞かせているあいだは、
どうしたって、悲しみはわたしの心の真ん中に陣取っていたのに、
挨拶もせずに、いつのまにか、そっと遠くへ去っていたのでした。
悲しみは、ある種の喪失感として、
わたしの経験のひとつとして、この先も消えることはないでしょう。
けれど、冬が去るように、悲しみも去ったのです。
雪が溶けるように、いつのまにか、悲しみも溶けて消えてしまっていました。
どういうわけなのか、日常を離れ、旅に出る機会が増えていました。
偶然なのか、はたまた、わたしが望んでいるのか、
あるいは、わたし以外の道連れが望んでいるのか・・・
なにはともあれ、日常と非日常を行ったり来たりしていました。
けれど、たとえ非日常に身を移しても、
結局、自分の想いからは離れることができないせいで、
悲しみを引きずって行く旅は、
旅先であるがゆえに、さらに胸に迫ってきたのでした。
行き慣れた街であったことは、あるいは、良かったのかもしれません。
京都、下田、金沢、そして、札幌。
この半年で繰返した「旅」と「暮らし」のバランスが絶妙で、
わたしのなかの想いの季節も、巡っていったのかもしれません。
だから、しばらくは、旅もお休み。
用意した長靴で、陽気に梅雨をやり過ごしたら、
また、どこかへ出かけたくなるかもしれませんが、
それまでは、気軽な暮らしを楽しもうと思います。