ごほうび
大好きな宮沢りえさんが、とある対談で、
「試練は、ごほうび」と言っていたのが、ずっと心に残っていました。
強い女性だな、でも、きっと自分に正直に生きてきたんだろうな。
そんな風に感じて、とても気になる言葉でした。
先月はじめに、シアターコクーンで観たチェーホフの『三人姉妹』では、
りえさん演じる厭世的な次女マーシャ役が、陰鬱なのにとても素敵で、
窮屈な世界に閉じ込められていながら、思うままに生きている女性のリアルさが、
圧倒的に魅力的で、憎めない存在でした。
この冬、わたしも深い悲しみのなかにいて、
自然と、彼女の言葉をつぶやいていました、「試練は、ごほうび」と。
きっとこれが「試練」なら、乗り越えられるはず、
そして、いつか「ごほうび」だと、わたしにだって感じられるはずだ、と。
そして、季節がひとつ過ぎて、いま思うのは、
失ったものにばかり目を向けているときには気付けなかったけれど、
得られたものも、たしかに、あるということ。
泣いている自分を見ている、もうひとりの自分が気付いていました。
もうひとりの自分。
それは、きっと「客観的」「俯瞰で」ということですけれど、
ちょっとした失敗とか、選択ミス、というようなレベルでなくて、
圧倒的な喪失感のなかでも、それは保てるものでした。
得たもの。
たとえば、痛みを知る、ということ。
痛みを知らずして、他人の痛みに寄り添えないことを痛感しているので、
これは、わたしにとっては「ごほうび」。
たとえば、こうしてキャンドルを作りたいなと思えるようになったこと。
それは、作りたくても作れない、苦しい時期があったからこそ。
いつになるかは、まだ分からないけれど、
きっと、これも「ごほうび」のひとつになるのでしょうね。