生きねば。
短かった秋のあいだに、ようやく映画『風立ちぬ』を観てきました。
ジブリ作品はとても好きで、ほとんど観ていますが、
これまでの作品とは雰囲気の違う感覚、
きっと実在の人物、しかも「大人」を描いているからなのでしょうね。
とはいえ、入道雲も、木漏れ日も、せせらぎも、
やはり圧倒的な美しさがありましたし、
だからこそ余計に、関東大震災や戦争の残酷さも、
押さえた表現ながらも、映像以上にリアルに感じられ、心を打たれました。
これまでの作品でおもに描かれていた、人と自然との対立。
その最たるものが、破壊としての「戦争」や「震災」だとすれば、
美しい飛行機を夢見ていただけのはずの少年を主人公に、
これまでとは違ったタッチで描かれてはいますが、それを痛烈に感じました。
「風たちぬ、いざ生きめやも」
・・・古語は難しいですね(苦笑)
劇中では「生きようとしなければならない」というような言い回しでした。
つまり「生きねば。」、映画のポスターにも記されてあります。
結局は、自分の命を生きること、生ききること、なのでしょう。
そう思い至り、思い出すのは、
お医者様に告げられた余命をはるかに越えて生き続けた祖父が、
最期に「もういいだろう?」と言い残して、息を引き取ったときのこと。
あの戦争を生き抜いた、私にとっては身近な生き証人でしたが、
何度尋ねても、けっして戦時中のことを話してくれませんでした。
おそらく語りたくもないはずの戦地での無理が原因で、
身体を壊して入退院を繰り返しましたが、苦しむ顔を見せない強い人でした。
その祖父が、愛する祖母や悲しむ私たちのために、
想像を超える激しい苦痛を耐えて、つらい治療を受け続け、
お医者様が不思議がるほど、本当に気力だけで生き抜き、
最後まで祖母を案じ続けた末の、最期の言葉だったのです。
天真爛漫な祖母のせいか、祖父母は風変わりな夫婦でしたが、
誰の目から見てもわかるほど、祖父は確かに祖母を愛していましたし、
そのためだけに、体力が無くなっても、気力だけで生き続けていました。
そして、その最期の力で「ありがとう」と私の手も握ってくれました。
もし、私が人生に絶望しても、生きる勇気を失わずにいられるのは、
私を愛してくれるひとが「生きて」と私に強く願ってくれるから。
ひとりきりで生きていける強さを持ちたいと思うときもありましたが、
この作品を観終えて、支え合うという感覚が、あたたかく心に蘇りました。
デッサンのタッチで描かれているのも、とても興味深いのですが、
「姫の犯した罪と罰」・・・楽しみ、と言うには切なくて、ただ待ち遠しいです。