いつのまにか晴れ
このところの記事は、旅行と食ばかりでしたね・・・(汗)
ですが、もちろんキャンドルも灯していますよ♪
観る側の私の気持ちの表れなのか、
見慣れたはずの『BRIGHTNESS』が、なぜか晴れやかに感じられます。
たくさんの山菜が身体のなかだけでなく、心の澱まで流し去ってくれたように、
気付けば長いあいだモヤモヤしていた気持ちが、5月の空のように晴れ渡りました。
~ すべての物 解き放つ力 手に入れたら 雲も消えていく ~
・・・そうか、私、好きだったんだ。
この素直な気持ちに思い至ったことが、私を一歩前に進めてくれたきっかけです。
あるとき、ある方と出逢いました。
それは、恋愛とかいうジャンルのものではもちろん無いのですが、
とても魅かれ、楽しい時間を過ごさせていただき、たくさんの笑顔がありました。
ところがあるとき、パタリと音を立てるように関係が終わり、
驚きと深い嘆きが、いつしか激しい怒りに変わって、
それまで経験したことのないほどのネガティブな感情に振り回されることになりました。
それまで「良くない」と決めつけ、できるだけ避けていたはずの、
ありとあらゆる「良くない」気持ちがあふれ出して、溺れてしまいそうでした。
・・・むしろ、溺れていたのかもしれません。
その様子は、周囲の人まで悲しませるほどひどい状況で、
そして「良くない」言葉ばかりを吐く自分に、自分自身が深く傷ついていました。
胸のなかに「良くない」気持ちが次から次へと生じて、
なす術もなく、すべて出尽くすのをじっと待つあいだに、
冬が始まり終わっていました・・・春の来ない冬など無い、とはよくいったものですね。
雪解け水が小川をつくり、芽吹きはじめる大地を踏みしめて歩いているとき、
「たとえ「良くない」気持ちであっても、
自分のなかに存在していて、いい」と、ようやく心の底から感じられました。
そして、いちばん最後に出てきた気持ちが、
私はその方をとても好きだった、という純粋な想いでした。
わかりやすく言えば、可愛さ余って憎さ百倍、ということでしょうか(笑)
しかも、これまで感じていたものとは桁違いの凄まじい感情でした。
合わない人とは自然に距離を置いて、とか、
「悪い気持ちは、くずかごに」というような過去の経験など、ちっとも役に立ちませんでした。
組み合わせというか、巡り合わせ、だったんでしょうね。
いまはとても懐かしく、もう逢うことはなくても、その方の幸せを心から願います。
キャンドルとは、元来、夜の闇に求める一筋の明りであり、希望だったのでしょう。
物理的には闇の存在しにくい現代の暮らしにおいても、
私にとっては、道しるべのような存在になり、とても助けられました。
残念ながら私は、そして他の誰でも同じように、良い気持ちばかりでは生きられません。
でも、それを承知したうえで、それでも明るい方向を向いて進んでいきたいと強く願います。