雛祭りに願うこと
引き続き、我が家ではお雛さまが飾られています(笑)
「ひとりきりで飾りました!」なんて声高らかに(というわけでもありませんが)書きましたが、
もうイイ年なんですから、そんなの当たり前ですよね・・・お、お恥ずかしい(汗)
ですが、最大の難関は仕舞うとき・・・まぁ、いずれ頑張ります!
そういえば、いざお雛さまを飾ろうというとき、
雛壇の仕舞ってある箱に、送付状が貼ってあるのを見つけました。
父の名と、私の生家の懐かしい住所が記載されていました。
両親が私の誕生を祝ってくれたのでしょうね・・・嬉しい気持ちになります。
それにしても、親というのは、子供に何を願うのでしょう。
おそらく、シンプルに「健やかに」「幸せに」ということに集約されると思っていました。
ところが数年前に、衝撃的な子育てのモットーと出会ったのです。
私の大好きなシンガーSAKURAさんの「社会の役に立つ存在に育てる」というもの。
私が子供のころには、両親にそのように促されたことはありませんでしたから、
とっても驚き、そして次第に素敵な考え方だと思うようになりました。
ある程度の年齢になれば、自分で自分に責任を持たなくてはいけませんから、
自分を育てる際にも、この考え方をいつも念頭に置くようにしてきました。
とはいえ、素敵な考え方だけれど、私に、社会の役に立てることはあるだろうか。
「これなら、私できるよ!」と言えるような、何か。
今すぐには無理かもしれないけれど、そのような存在になっていきたい、と日々探し続けています。
ところで、いちばん新しい友人は、シンガーをしているアーティスティックな素敵女子♪
彼女の歌を聴いていると、とても優しい気持ちになれます。
そして「喜んでくれる人がいるから、私は歌っていきたい!」と熱く語っているのを聞いて、
「私も同じ気持ちでキャンドルを作っているの!」と共感したりして。
キャンドル制作は、私だけができることではなく、誰もができることかもしれません。
でも、私がすることで、周りの誰かの心を明るくすることができるなら、
それは、私にとって社会の役に立てることのひとつ。
これからも、少しずつ、できることを増やしていきたいと願っています♪
そうそう、先日読んでいたパートナー推薦の本にも、お雛さまがチラリと登場していましたっけ。
宮本輝さんの『水のかたち』。
そのあとがきのなかに、以下のような文がありました。
「この数年来、私の周りでは、善き人たちのつながりによって生じたとしか思えない幸福や幸運の連鎖が起こっていました。
私たちの人生には、予期せぬ災厄や突然の不幸はつきものですし、思いどおりに行かないことのほうが多いのです。(中略)
善き人とはいかなる人か。定義するのは難しいのですが、他者の痛みや悩みを我がことのように感じ、なんとか力になってあげようと行動を起こす人、といえばいいのかもしれません。(一部抜粋)」
自己中心的になりそうな自分を戒めつつ、
周りの人にもオープンマインドで、心を配れるような「善き人」になりたいと願います。
そのためには、親の願ってくれたであろう「健やかに」「幸せに」を、
私も、しっかり自分の心の中心に願い直そうと思ったりしています。