心穏やかに
昨日3月1日、関東では春一番が吹き荒れました。
そして夜になって、大地に大粒の雨が降りそそぎました。
そして、今朝目覚めてみると、何やらいつもと違う気配。
心がふわふわと軽く、早々に着替えてスニーカーを履いて通りへ出てみます。
一歩二歩と走り出してみると・・・あれ?
身体も軽くて、どこまでも走っていけそうな気分です♪
心と身体、どちらも、同じ私のものなのに、
どちらも揃って元気ということは、残念ながら、なかなかありません。
心が健やかなときでも、身体がどうにも重く感じたり、
反対に、身体は軽いのに、心がふさぎ込んでしまったり。
そんなときには、重いほうへ引きずられてしまわないように、
少し休んでみたり、あるいは気分転換のために出かけてみたり。
だましだまし、あの手この手で、改善を試みてきました。
ですが、これまでのパターンが通用しなくなっていたようです。
この半年くらい、これまでとは違う性質の疲れが、心と身体に澱となって積もっていくようでした。
「頑張る」ということが、幼いころからクセになっていたせいだろうと思います。
頑張って勉強する、頑張って働く、頑張って苦しみを乗り越える・・・
ですが、どんなに歯を食いしばって頑張ってみてもどうしようもできないこともあり、
「頑張る」だけが方法ではないことも、そろそろ学ぶ必要があったのかもしれません。
とはいえ、どうぞご心配なく。
何か乗り越えられないことのために、苦しんでいるのではないのです。
その「頑張る」というスタンスから離れてしまいたくなったということ。
「頑張る」という方法しか持ち合わせてなかったということを、ようやく理解できました。
そんなことを考えるともなく、頭に浮かんでは消えるにまかせて、
梅や水仙の香りを楽しむために走るペースを落としたり、
立ち枯れたような紫陽花から、鮮やかな新芽を見つけたりしていると、
走り慣れたはずのいつものコースも、ずいぶんと春の気配です♪
それにしても。
頑張り続けて、いろいろなことを切り捨てるように、ずいぶんと急ぎ足でここまで来ました。
手に入れたもののなかにも、切り捨てたもののなかにも、大切なものがあったことでしょう。
キャンドルを灯すことは、私にとって日々を丁寧に暮らしたいという願望を意味し、
その想いをブログに綴るようになって、これまでの迷いの辿り着く先をようやく発見する思いです。
そして、このところ、大切な年上の友人たちと再会する機会があり、
私が思い悩むたびに、繰り返し諭された言葉を想いだしていました。
彼女たちが伝えてくれていた言葉が、時を経てようやく心のなかで落ち着く場所を見つけたようです。
「あなたは、あなたのままでいいのよ」
春一番は、私の心のなかの迷いを吹き飛ばし、
その隙間を優しい雨が降りそそいで満たし、心を潤してくれたようです。
焦る必要もなく、頑張る必要もなく、
これからは心穏やかに暮らしていこうと思います、私は私のままで 。
春一番から、どのようなメッセージを受け取りましたか?