Life goes on...
今日は満月。
大切な友人と、永い永いサヨナラをしました。
私は二十歳のころから、とある居酒屋に通い続けていました。
世間知らずの未熟な学生だった私にとって、
そのカウンターで出逢う大人たちは、とても魅力的で、夜毎入り浸っていました。
私はその店の常連たちから、とてもたくさんのことを教わりました。
大半が会社員で、なかには社会的に地位の高い人もそうでない人もいましたが、
どの人も肩書を外して、その人のあるがままでカウンターに向かい、
そのキャラクターこそが、その店での評価のすべて、そんな環境でした。
そのような世界があることを知ったことは、社会に出るうえでとても大きな財産でした。
その人は、誰からも愛される人でした。
本当に、文字通り誰からも愛される人で、誰も彼のことを悪く言う人がいなかったろうと思います。
今日の空のように澄み切った心の持ち主で、まっすぐな人でした。
弟さんが「兄は、深い愛の人でした。笑顔の人でした」とおっしゃっていましたが、
誰もが彼の笑顔しか思い出せないほど、心優しく、誰に対しても平等に接する人でした。
20才近く年の離れた私に対しても、いつも笑いかけてくれました。
お神輿を担ぐのが生き甲斐という人で、夏になると東京中の祭りに参加していました。
酒と祭りが好きで、ネジリ鉢巻きの似合う粋でイナセな人でした。
店の外に彼の自転車を見つけるとホッとして、いつも彼の隣に座って話を聴きました。
ときには酔った勢いで、短く刈り込んだ頭や、お神輿のせいで肩にできたこぶを触らせてもらいました。
その居酒屋は、私が10年ほど通ったころになくなり、私たちは散り散りになりました。
それぞれ次の居場所を見つけて落ち着いたころ、彼が病気になったことを耳にしました。
闘病している姿を人に見られたくないと人づてに聞いていましたから、
心のなかで「はやく元気に」と願い続けていました。
けれど、危篤の知らせを受けたとき、どうしても一目会いたくて、意識の無いICUの彼の許へ駆けつけました。
苦しい闘病を頑張り抜いたことも聞いていましたから、これ以上「頑張れ」とも言えず、
私は「ありがとう」としか伝えることができませんでした。
開かないまぶたを開こう、出ない声を出そうとしてくれましたが、
私には、いつも通り私の名前を呼んで「来てくれて、ありがとう」と言う声が聴こえました。
間違いなく、彼の声が聴こえました。
とてもたくさんの人たちが、彼の死を悼みました。
いつもはカウンターで笑ってふざけ合っている大人の男性たちまでもが、
彼の名前を叫び、今日だけは人目を気にすることなく声の限りに泣きました。
そして、集まった人たちの一本締めが、カラリと晴れた空に響き渡り、
祭りの法被を着た最期の彼の姿を、涙とともに見送りました。
もう彼に逢うことはできないし、彼が私の名前を呼んでくれることもありません。
それは、とても切なくて、苦しくて、さみしいことです。
もう幾晩も、かつての常連たちと「献杯」と言い合って、杯を重ねています。
そうすることで、悲しみに慣れようとしますが、
一方で、彼が、わたしたちの心のなかで永遠に生き続けることもわかっています。
だから、今はサヨナラですが、「また逢いましょうね」という気持ちです。
今夜の灯かりは、そのような灯かりです。
特別な夜ですから、もちろんマッチを擦って、彼のことを想って灯します。
マッチの独特な香りが、鼻にツーンとして涙が出そうになります。
でも、いつかまた逢える気がするので、あたたかな気持ちで炎を見つめています。
新しい出逢いがあれば、いつかサヨナラが来る、ということを理解するならば、
サヨナラまでの間を、どのように大切に過ごすか、ということに考えが向かいます。
それはつまり、今のこの一瞬を大切に過ごすということなのだと思います。
彼への感謝の気持ちを胸に、私の人生は、これからも続きます。