ETERNAL-FLAME

~ 寝ても醒めても キャンドルのことばかり ~

柔らかな印象

 

キャンドルといえば、切っても切れない関係にあるのが、燭台。

このところずっと使っているのは、山岸勉さんのアイアン製のもの。

キャンドルを灯すときには必ず使うものだから、

木製とか、ガラス製とか、じつはいろいろ持ってはいるんですが。

 

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シンプルなキャンドルも、凝ったデザインのキャンドルでも、

丸みのあるものであれば、受け止めて寄り添ってくれるデザインなので、

ついつい手に取ってしまいます・・・手に取りやすいフォルムでもありますよね。

ちょっと和テイストの佇まいがあるのも、いい雰囲気です。

 

 

こちらの燭台は、私にとっては、オブジェ的な存在。

けれど、飾りというよりはむしろ、とても神聖な存在です。

燭台として対峙すると、この姿に見合うキャンドルを作りだせなくて、

だからこそ、とても大切な存在でもあります。

 

 

そんな山岸さんの燭台たちが、なんと、伊勢丹新宿店にやってくるそうです!

山岸さんは、札幌で活動されていらっしゃる作家さんですから、

東京で、なかなか作品を拝見する機会はありませんでしたが、

今回、クリスマスにちなんだ企画展ということで、まさにピッタリですよね。

 

新宿店の5Fフロアは、いつも素敵な調理器具や雑貨がセレクトされていますから、

私も好きで、よくパトロールしに(笑)行っていますが、

あのスペースなら、山岸さんの燭台はとてもマッチするだろうな、と今から楽しみ♪

11月29日から12月5日までの期間限定なんですって。

 

どうして硬い金属で、あの柔らかな印象を作りだせるのかしら・・・

見れば見るほどに、いつも引き込まれてしまう燭台ばかりですが、

また新しい、違った雰囲気の燭台に出逢えそうな素敵な予感に、

早くも、クリスマスを待つ子供のような気分です♪

 

大切なものほど

 

もったいない。

ついそう言っては、大切にしているものほど、大切にしまいこむ癖。

そうやって、しまいこむほどに熟成していく梅酒とかならいいけれど、

酸っぱくしてしまったシャンパンのことを、相方はいまでも忘れていない・・・

 

大切なものほど、美味しいうちに、美味しく頂かなくちゃ。

大切なものほど、見える場所に置いて、うっとり眺めなくちゃ。

そんなわけで、まことに勝手ながら、

「大切にしまいこんでいるものほど使いましょうキャンペーン」を始めます!

 

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トップバッターは、こちらのキャンドル。

大野敬子さんの作品『ハーブキャンドル 和(なごみ)』です。

ついこのあいだ手に取ったばかりのような気持ちでいましたが、

もう6年も経っていたんですね・・・キャンドルに申し訳ない気持ちです。

 

キャンドルは灯してこそ!

なんて普段から言っている私ですが、もったいなくて、つい(汗)

優雅な曲線、ほのかなハーブの優しい香り、なによりこの色合い、

こういうキャンドルを作られる方は、きっと穏やかな方なんだろうなぁ・・・

 

キャンドルは、眺めているだけでも充分なほど素敵な作品が多いですが、

このハーブキャンドルは、灯すことによって香りがひきだされますから、

まさに、灯してこそ、のキャンドルでした。

これから、どんなふうに形を変えていくのか、楽しみです♪

 

 

ほかにも、大切にしているあれやこれや、いろいろ出てくるんでしょうね。

それらを取り出して、しっかり使ったり、うっとり眺めたり・・・ワクワクします。

そして、このキャンペーンが終わるころには、

「いつかやるなら、いまやりましょう(仮)」キャンペーンを展開予定です(笑)

 

人に贈ってばかりで実際は食べたことのない、高級チョコレート、とか、

ウィンドー越しに観察しつづけて20年(!)経ってしまった、漆黒の応量器、とか、

予防接種が嫌で今年もついに行けないでいる、アフリカ大陸、とか、

今さらどうなのと思わないでもない、パープルのダッフルコート、とか(苦笑)

 

キャンドルの効能

 

いろいろありまして、いろいろなことを変えてしまいました。

たとえば働き方、そして考え方、たぶん、生き方も。

変えなきゃいけないのかな、変えられるかな、変えられないんじゃないかな・・・

とても長い時間をかけて、いろいろな振り幅の段階を経て、ついに。

 

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たとえば、私がフリーランスにありがちな「ワーカホリック」になったのは、

生きがいみたいなものを、クライアントからの評価で満たそうとしたからでした。

けれど15年以上も無理をつづけたので、身体の不調も見過ごせなくなり、

それでも、働き方を変える必要性を感じるまでに、ずいぶん時間がかかりました。

 

その後も、つづけるか vs 辞めるか、という極端な二択に悩みつづけ、

仕事量を減らす、という3つめの選択肢を追加できるまでに1年かかりました。

とはいえ、仕事しか誇れることがなかった私から、仕事を引きはがすのは苦痛で、

身体を壊してでも働く、とまで抵抗しようとしたり・・・自分でも愕然としました。

 

働き方を変えることは、価値の無い(と自分では感じる)自分自身を、

それでもいい、と認め、受け入れていく作業となり、とても厳しい日々になりました。

できるだけ客観的に自分を観察し、日々を丁寧に過ごすことで、

心に灯る小さな感謝の気持ちを、少しずつ大きく育てていくような日々でした。

 

けれど、実際に変えてみると、あれほど切望していたはずのクライアントの評価も、

もうすでに、私の存在意義を左右するものではなくなっていました。

遠く移ろいやすいものに、委ねようとするから苦しかったのですけれど、

家族や友達とのあいだにある確かなものこそが、私の存在を満たすものでした。

 

大切なひとたちが、私を大切だと思ってくれることは、もちろん当たり前ではなくて、

その自分に価値が無いと言い募ることは、ずいぶん失礼なことだったと気付きました。

そんな当たり前なことに気付かない私は、本当に子供のようだったと感じますし、

私が気付くまで、ずっと待っていてくれたことに、本当に感謝しかありません。

 

 

働き方を変えていくなかで、どうしたって、考え方も変わりました。

誰かと較べたり、誰かのようになりたいと願う無意味さにも気付かされました。

この手にはないものを、いつまでも追いつづける愚かさにも。

必要なものは、もうこの手のなかにあるのです、よく見さえすれば。

 

どうしてもっと早く、こんなふうに気付けなかったんだろう、とも思うけれど、

今、この時でないと、きっと気付けなかったんだろう、とも思います。

古い考え方から新しい考え方に変えよう、というのは、私の意志でしたが、

それを支えたのは、キャンドルを灯す時間だったのだろうと思っています。