水際の美しさ
あれ? もう1月が終わろうとしていますが、
どういうわけか、まだ元気でいるのは、こちら。
新年をお祝いするために、
今年は、お生花(しょうか)のなかでもシンプルな一種生けを、
大好きな梅で、すっきりと生けてみました。
お正月には蕾でしたが、すっかり咲きそろい、散りはじめました。
まだ元気なので生け替えることもせず、そのまま楽しんでいます♪
飾るとしても、バラや百合をざっくりと飾るような毎日が続き、
それはそれで良いのですが、生け花なんて、本当に久しぶりでした。
やはり生け花は、心を落ち着けて花材と向き合わざるを得ないので、
どうしても、文字通り「心を亡くすような」忙しい毎日では、遠のいてしまいます。
ところで。
生け花で、特にお生花では「水際の美しさ」ということに注目します。
実際には数本、もしくは2~3種類の花材を使用することもあるのですが、
水面から、まるで一本の花材が伸びているように生けることが、美しさのひとつの条件。
生命の成長しようとする躍動感などを表現する部分です。
「水際」について考えながら生けていた1ヶ月前、
ずっと「立つ鳥跡を濁さず」という言葉が浮かんでいました。
「変化」は必ずしも「成長」とイコールではありませんが、
「成長」を求めるとき、必ず「変化」は伴います。
だからこそ、飛び立つときには、
水面を濁らせることなく澄んだ状態であるよう、つねに願います。
・・・ちょうど今、噺家で人間国宝の五代目 柳家小さん さんが、
付けたテレビのインタビューで語っています。
「心が汚いやつは、出てくるものが汚くなっちまう、噺も汚くなっちまうんだ」と。
澄んだ心でいるよう心がけることが、やはり大切なのですね。